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奥の院・十一面観音菩薩が必見「海住山寺」@京都



京都府木津川市にある「海住山寺(かいじゅうせんじ)」。


寺伝によると、天平7年(735)、聖武天皇が東大寺大仏建立の平安を祈るため、都の鬼門の方角に良弁僧正(奈良東大寺の初代別当)に命じて堂を建立させ、十一面観音菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。


海住山寺は、かつて恭仁京があった瓶原(みかのはら)を見下ろす三上山中腹に位置します。


恭仁京(くにきょう)

天平12年(740)に藤原広嗣の乱が起こると、聖武天皇は平城京を離れ突如東国へ出幸し、

乱鎮定後も平城に帰らず、同年12月、恭仁宮(現、木津川市加茂町)の造営を始め遷都。

未完成のまま4年後の天平16年(744)2月に難波宮への遷都が行われ、翌天平17年(745)5月には再び平城の地へ都が戻った。


藤原広嗣の乱

奈良時代中期に北九州で起った反乱。天平12年(740)藤原広嗣(ひろつぐ)が左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)・吉備真備(きびのまきび)・玄昉(げんぼう)を排して藤原氏の権力をもり返そうと、1万に及ぶ兵を集めて九州で反乱を起した。ほぼ2ヵ月に及んだ反乱は大野東人(あずまひと)らの追討軍に敗れ、処刑された。




海住山寺の前身にあたる観音寺は焼失しましたが、鎌倉時代の承元2年(1208)、貞慶(じょうけい)により中興され、海住山寺と改名しました。


五重塔(国宝)


貞慶が舎利を安置するために建立が開始され、貞慶の一周忌の建保2年(1214)に完成しました。屋外にある木造五重塔では、室生寺五重塔に次いで日本で二番目に小さい。


五重塔内部は仏舎利を安置する厨子があり、扉には建立当時に描かれた絵が残されています。五重塔の内部は、特別公開時のみ拝観可能。


四天王立像(重要文化財)

鎌倉時代作


海住山寺の四天王立像は五重塔の中にありましたが、現在は奈良国立博物館へ寄託されています。


私が訪れた時は、奈良国立博物館から里帰りされていて、こちらの五重塔内部で拝観できました。贅沢〜。


本堂


本尊・十一面観音菩薩立像(重要文化財)

平安時代作、一木造り、像高189cm


奥の院本尊・十一面観音菩薩立像(重要文化財)

平安時代作、一木造り、像高45.5cm


普段は奈良国立博物館に寄託されています。

私が訪れた時は奈良国立博物館から里帰りされていて、海住山寺で拝観できました。


こちらの十一面観音菩薩立像、個人的に好きな仏像のひとつです。見ての通りの美しさはもちろん、とってもかわいらしいのです。




海住山寺の近くに流れる木津川。帰りに通ったら、なんだか神々しく、海住山寺の参拝後でもあったので、これが悠久の歴史か〜と感動して、思わず写真を撮ってしまいました。



 

<海住山寺> 

【住所】京都府木津川市加茂町例幣海住山20

【電話】0774-76-2256

【時間】9:00〜17:00

【拝観料】500円 ※特別展期間中は別料金

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