奈良県明日香村にある「気都和既(けつわき)神社」。
創建年や由緒は不明なことが多いようですが、境内にある看板によると以下の通り。
「気都和既神社ともうこの森」
境内は「もうこの森」と呼ばれており、この気都和既神社には、気津別命と尾曽・細川両大字の神社にそれぞれ祀られていた天津児屋根命を合祀した三座を祀る。
その名のおこりは、645年の大化改新で中臣鎌足(藤原鎌足)が飛鳥板蓋宮で暗殺した蘇我入鹿の首に追われて、ここまで逃げ込み「もう来ぬだろう」といったことに由来すると伝えられている。鎌足が腰をかけたと伝えられる石も残る。
御祭神は気都別命(ケツワキノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)です。
気都別命について詳細は不明ですが、「新撰姓氏録」によれば「真神田曽禰連、神饒速日命の六世孫、伊香我色乎命の男、気津別命の後なり」とあり、これが気津別命ではないかとのことです。
新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)とは、平安時代初期の弘仁6年(815)に嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。
ちょっとよく分かりませんが、要は物部氏にゆかりのある神様のようです。
物部氏は蘇我氏によって滅ぼされたので、さすがに蘇我馬子の孫である蘇我入鹿も物部氏ゆかりの神が祀られているところまでは追ってこないだろう、と中臣鎌足が考え、ここまで逃げ込んだ、ということのようです。
天児屋根命は天岩戸神話に登場する神々の一神で、「古事記」によると、天照大御神がお隠れになった岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開けたときに布刀玉命(フトダマノミコト)とともに鏡を差し出し、天照大御神が岩戸の外にお出ましになりました。それゆえ、祝詞、言霊の神とされます。
また、天児屋根命は中臣氏(後の藤原)の遠祖で、藤原氏の氏神を祀る春日大社の祭神でもあります。
つまり気都和既神社は、敵の敵である物部氏ゆかりの神と、中臣氏・藤原氏の氏神をお祀りしている神社で、中臣鎌足とっては蘇我入鹿の首から逃げるには最適な安全地帯ということなのでしょう。
場所が分かりづらく、本殿の方から来てしまったようで、拝殿の裏側にも参道があることに気がつきませんでした。
<気都和既神社>
【住所】奈良県高市郡明日香村上172
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